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真理は人を聖と汚れに二分する―聖い神を知ることが英知の初め(箴言10:10)

  • 執筆者の写真: 文子 横木
    文子 横木
  • 7月21日
  • 読了時間: 3分



レビ記19:2

あなた方の主である神、わたしは聖い神であるからあなた方は自分自身を聖別して聖い者となりなさい



①      内容確認

聖であるとは、具体的には神の全ての掟と定めを守ることにより、汚れた者とならず、聖なる神との交わりの内に留まる、汚れとの区別の事(実用聖書注解)のこと。

二者の間に分離がある事、越えてはならない境界線がある事、倫理的水準による聖俗善悪の区別ではなく神との関係による信仰で事がなされているかである(新聖書辞典)とあります。


②     示された事

聖であることは、汚れと分離すること、汚れた者とは離れる事、これはこの世の汚れから離れるという事ではなく―そうであれば、この世から出ていかなくてはいけなくなります―、もう少し踏み込んで言えば、キリストにあると言っている汚れた者と離れる事、それは明確にわかる偶像礼拝のみならず、あたかもこれこそ真理であると言う説得力を持ってイエス・キリストを自己理解で曲げて話す異端的思考・偽教師から即、離れなさいという事。彼らは自分の考えから聖書を裁いています。


また、ヨハネ通読中ですが、7:11で、聖めは聖霊の働きであり、真理を信じる事だけにとどまらず、御心を行いたいと心から願うと、はっきりと、より深く「聖と汚れ」がわかると解説がありました。


モーセが宿営から出て天幕を張った、すなわち、汚れから離れる事で神と出会ったように、レビ19:2は、キリスト教会内にある異端的教えから離れる事で聖い者となれとの神様の命令です。

 

③     今日の私に語っておられることは?

もし、長年の知り合いが私がキリスト者だと知らなかったら、この世と同じ生活レベルで生きているという事、つまり聖別されず、この世と分離せず、同化している、埋まっていると見なされている証拠で、神様をがっかりさせていることに他ならないと思いました。


④     適用

A信仰は自己責任ですが、今だ、キリスト教会の中にある異端的発想のリーダーから分離できていない人達に私が言えるのはこの事です。離れなさい! 霊的境界線を引きなさい!覆いを取り除かれよ!と祈り、メッセージを送ることです。


Cまた、公の場で大胆に告白する事で、この世とは違う生き方をしていることを示す。

 これは先日、農協に自動車の任意保険をかけに行った時、色々と話している間に、あなたはどこか人と違いますねと職員に言われたので「キリストを信じています」と言えました。


Bまた、私は、異端のエホバの人と以前から関わりがあり、今までは、面倒なので適当に話を聞いていましたが、最近、エホバの証人の訪問を受けた時に、初めて、聖なる怒りが湧いてきて、エホバをはっきり否定できました。


⑤     新しい決心と実践

エホバの証人への聖なる怒りを通してはっきりわかったことは、罪の指摘・癒し・救いの教理から入るのではなく、そして脅かすのではなく、切迫した緊張感を持って終末論的視点から神の御国・新天新地、とゲヘナと火の池の真理の説明によって伝道していくこと、これが私の伝道方法なのだと確信できたことです。


私の家には宗教の勧誘の為に色々の人が来ますが、今度から「キリスト教の言う天国と地獄」パンフレットを手渡すことにしました。


また、早速、この視点からできている動画を高校生と中学生の孫に見せ、携挙の事を話したら、孫たちはキリストを信じました。


ハレルヤです



 
 
 

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