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ミニストリーが成功したら弟子訓練にならない

  • 執筆者の写真: 文子 横木
    文子 横木
  • 7月18日
  • 読了時間: 3分


これはある牧師がヨハネ福音書の6章のパンの奇跡の時に、ピリポとアンデレがそれまでイエスの奇跡を見ていたのにもかかわらず、肉的答えをして、弟子訓練に失敗した時の解説で言われたことです。


私はこの牧師のメッセージを10年くらい前から数年にわたり聞いて学んでおりました。が、ある事情でその集まりから排除されました。私はそのことを自身の教会難民の傷つき体験として語ったり、ある人たちの神学論争、牧師の批判論争に耳を貸し、それに賛成し、長い間、その方のメッセージを聴くことをやめていました。

今考えると、その期間、私の頭の上にはモヤモヤした黒い雲が立ち込め、荒野での民のように同じ所をぐるぐるまわり、惑わしの中で、霊的に窒息し、喜びと力がない者になっていました。


そんな中、2025年4月から、ロイド・ジョンズの「リバイバル」を読み、霊的リバイバルは、人為的な方法―例えば教会・牧師批判をすることで新しい教会を復興させようとすること―では起こらないこと、リバイバル全ては神の主権である事を教えられ、教会・牧師批判運動に参加していた事を悔い改め、それらペリシテ人の蒔いた廃棄物を取り除くことで、息を吹き返しました。


そしてまた、この度の回心の時、突然、不思議な方法で、その牧師が病からの回復を証しをされた動画に導かれ、衝撃を受けました。続けて新生されたメッセージを聞いてみようという気持ちが一気に湧いてきて、再び数年ぶりに傾聴することになりました。前に聞いていた感じとはまた違う深みのあるメッセージで、聴く私も回心し変わっていました。


聴けてなかった間は、そこでの傷つき体験が癒されていなかったのですが、今は赦された、自分自身も赦した感があります。晴れ晴れとしています。この導きは、私の前進を助けるための神様の優しさでした。私が霊的に死につつあり、終わったかのように思えた時、突然目の前が開けた次第です。


さてタイトルの「ミニストリーが成功したら弟子訓練にならない」とはまさに今回の教会難民のしゃべり場プログラムの事です。それは人間的には失敗したと見えますが、失敗を通して、神についてではなく、神ご自身、神の英知を知ることができました。抽象的神概念、机上の論理、学問の為の論争、批判に次ぐ批判の中には、神はおられませんでした。


また、モーセが宿営を出て天幕を張り、そこで神と交わった時のように、そこからの分離を通して、聖別されることも学び、神は聖なる方であることもわからせていただきました。


改めて、姉妹達との礼拝も始まりました。


今は、後ろのものを忘れ、前のものに向かって前進して、目標を目指して一心に進んでいる状態です。


神は迷い出した者を探し求め、ご自分の所に呼び戻されます。私が呼び戻されたのは、ただひとえに神様の憐れみ、わざによります。


主にありて 

神に讃美と栄光を!


感謝


ハレルヤ、マラナタ。

 
 
 

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