HP~解放への扉~の変更:その経緯と新たな召命について (その1)
- 文子 横木
- 7月2日
- 読了時間: 3分
更新日:7月5日
私はあなたの事を耳では聞いていましたが、今はあなたをわたしの目で見ています (ヨブ42:5)
この度 オンラインエクレシア オアシスでは、一般の牧会相談を取りやめる事にしました。牧会相談は訳30数年させていただいておりましが、次の召命をいただきましたので、そちらに方向を転換することにいたしました。
牧会相談では神に出会われた方々もおられましたが、真理を聞いて、なお、信仰を持つ事を固辞される方々多くもおられました。信仰は自己責任であり、神は最後まで見捨てないことを信じて、その方々の事は、聖なる神の御手にゆだねる事にしました(エゼキエ18:21~32)。
私はJTJを卒業し、カトリックの黙想会やハーベストタイムミニストリーの神学講座を終えた後、ここ数年は、以下のグループの影響を受けていましたが、これらの関わりを断つことにしました。絶つ事によって、頭の上にかかっていたもやもやした黒い雲が消え、はっきりと神が愛であること(Ⅰヨハネ4:16)、次の道が何であるかがわかりました。
この数年間の私の霊的成長は1ミリもなく、同じところをぐるぐる回っていたと思います。
例えば、このようなグループです
癒し、預言・悪霊追い出し、預言、異言を中心として、金銭的にも多くの捧げものがいる
文脈を無視して自分の自我の信仰による神像を聖書の中に読み込んでいく
聖霊による啓明があったと主張するが、実際によく聞いてみると、教理が異端的である
特定の教会・牧師批判をし続け、自分の正しさを主張している
実際にその教会の信者生活をしていないのに、周りに同調して、外から攻撃し続けている
キリスト教を心理的・道徳的、哲学的に分析している
知育偏重のキリスト教という名の宗教に留まっている
神の愛と義という両側面を同時に見る事ができず、偏った神像に疑問を持たないでいる
などです。
頭で考えるキリスト教は、現代の世間には見た目が良く、自己満足を満たしますが、それは、アブラハムの掘った井戸にペリシテ人がごみを投げ込み、水の供給を塞ぐと同じことです。
イサクが詰まったごみを掘り返すようにこれらのものを取り除き(創世記26:18)、排除した結果、再び、命の水、希望が湧いてきました。止まっていた信仰の時の針が動き出しました。
2024年11月から「教会難民の為のしゃべり場」を開く前にチェコで預言活動されている方から「あなたが始めようとしているなんらかのプログラムをぜひしなさい」と言われ、それが後押しになったこともあって、しゃべり場を始めました。しかし、以前ブログでも書きましたが、諸事情により2025年5月に閉鎖となりました。
実はこのことが、直接的には、今回の変更に大きく踏み出す原因となりました。
人間的には成功とならずに失敗となった事を通してわかったのは、キリスト教は神学論争、思考の纏めではなく、イエス様という道を踏んで歩く実際の生き方、生きざまであるという事でした。
これらの事をこの小さき者に教えて下さった神に、栄光あれ!
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